大和高田・ものづくり歴史背景
先史古代中世・江戸前期江戸時代明治初期明治中期〜大正期昭和初期〜現代明治〜現代
近代紡績工場・繊維産業の盛衰
第1次大戦前後、急激に発展した当地も昭和に入り、恐慌・満州事変に始まり第2次世界大戦突入の中で戦時下の厳しい局面を迎えます。しかし英国を凌駕し基幹産業となったわが国紡績産業の先頭集団にあった大日本紡績(株)の主力生産拠点として「高田工場」はいち早く生産合理化・技術革新をはかり厳しい時代の中でも堅実に生き続け、大和高田のシンボルとしてこの地のものづくり集団や街の賑わいを支えていました。
 大戦の終わった昭和20年後も即刻復興に取組み、昭和26年(1951年)には天皇陛下のご来臨賜る日本の代表工場であり続けました。その後昭和40年代の日米繊維交渉の外圧、わが国の産業構造転換、昭和48年(1973年)からのオイルショック、繊維製造業の海外移転等の環境激変が相次ぎ、当市の他の織物工場等も含め急激に衰退の止むなきにいたります。こうして大和高田の街の発展に大きく貢献した大紡績工場は昭和54年(1979年)惜しまれながら80余年の歴史を終えて閉鎖され、跡地は住宅・ショッピングセンター(現ユニチカ・オークタウン)に転換されました。
 しかし一方、その逆風の中でもメリヤス、靴下産業他のものづくり集団は新たなパンストなどの需要に対応し果敢に新技術の機械開発や業種転換、経営革新に取組み、今なお高田の「ものづくり」の伝統の灯を継承し続けています。 

   ニチボー高田工場全景


『ニチボー75年史』より



このページは平成19年度小規模事業者全国展開支援事業 大和高田商工会議所 にぎわい大和高田 発行の冊子より転載しました。

大和高田ものづくりネットワーク Tel 0745-22-2201