大和高田・ものづくり歴史背景
先史古代中世・江戸前期江戸時代明治初期明治中期〜大正期昭和初期〜現代明治〜現代
綿づくりからものづくり(手工業)の発展

        西宮(曽弥)神社の農耕絵馬
        別名(綿つみ絵馬)

江戸時代の農作業の1年を2枚の絵馬の中に35人の人々が描かれていて、中でも珍しいのが、左上に綿つみをする3人の女性と一杯になった2つの綿籠が特徴的です。

 大和高田の綿作は、17世紀中ごろから19世紀にかけて全国的地位を誇る存在でしたとりわけ繰り綿と綿織物は江戸などへ送られ、広域的な販売ルートを持っていました。高田の江戸積み繰り綿は有名で、軒を連ねた問屋が町の繁栄をもたらしました。
 18世紀半ばを過ぎて全国で綿作が始まると、今までの繰綿の売上げは落ち込み、大和の綿作は衰退に向かい始めたのです。
 綿作から繰り綿、綿打ちや藍染など多様な商工業が広がり、地域の暮らしを支えました。奥田には、20軒もの藍染屋がありました。藍染による特徴的な織り模様を出し全国的に販売されたのが、 「大和絣」で、西日本の白絣の代表的なものとなりました。

     「高田郷土文庫」所蔵の江戸時代後期高田村絵図



宝暦年間(1751-1763)の綿作絵図 を見ると高田村が、作柄別に塗り分け られ、全耕地の3分の1が綿作にあてら れています。緑の部分が稲作の田で、 黄色の部分が綿作地を表しています。
赤い色は道で右端上部が専立寺を中 心にした寺内町です。



このページは平成19年度小規模事業者全国展開支援事業 大和高田商工会議所 にぎわい大和高田 発行の冊子より転載しました。

大和高田ものづくりネットワーク Tel 0745-22-2201